「未来へ、つなぐ」というキャッチコピーはこれまで数多くの困難を乗り越えてきた先人たちの努力と、
困難を共に乗り越えて一緒に歩んできた市民の皆様や水源地域・流域の方々に感謝し、
これからも安全で良質な水道水を供給し続けていくという強い決意を示しています。
その下の100という文字は「雨や川などの自然のめぐみの水」「そこから集まって暮らしの中を巡る水」
「緑をはじめとする環境と共にある水」を表し、形を変えて巡り続ける水の循環と、
未来に向けて持続可能な水道を構築する使命を胸に、水のバトンをつなぐ意思を表したロゴマークです。
大正12年3月1日、曲渕ダムや平尾浄水場(現福岡市植物園)をはじめとする一連の施設が完成し、給水を開始しました(対象給水人口は約12万人)。
創設当初は、水道を初めて見る市民に、「コレラでもチフス赤痢も何のその、水道ひけば家内安全」と書いた『上水の栞』を配布し、水道の良さを伝えました。その後、水道水の安全性や便利さが広まり、水道を使う市民が増えていきました。
写真:創設当時の曲渕ダム
人口増加に伴い、ダムの建設などを進めてきましたが、市域内に一級河川がなく水資源に乏しい福岡市は、昭和53年と平成6年に未曾有の大渇水に見舞われ、長期の給水制限を余儀なくされました。特に昭和53年は287日間にも及ぶ給水制限を行うこととなり、ピーク時には、1日5時間しか、じゃ口から水が出ませんでした。
この昭和53年の大渇水を契機として、福岡市は「節水型都市づくり」を進めていくことになります。
写真:湖底をさらけ出しているダム(昭和53年)
水道水を有効に活用するため、市内全域の水道管を24時間体制で監視し、水量や水圧を集中制御する「水管理センター」の運用を昭和56年に開始しました。水道の使用量に応じた水量・水圧の調整や異常時の早期対応により漏水を抑制しており、福岡市は世界トップの低い漏水率2.0%(令和2年度)を達成しています。
市民にも節水の意識が定着しており、1人の市民が1日に使用する水道水の量は、約200Lと大都市で最も少ない水準です。
九州最大の河川「筑後川」は、広く福岡、佐賀、熊本、大分の4県にまたがり、古くから多くの実りをもたらしてきました。筑後川の水を福岡市の水道水として利用させてもらうことは、水道創設以来の長年の夢であり念願でしたが、水源地域・流域の方々や関係団体などの理解と協力を得て、昭和58年に実現しました。現在、福岡市が使用している水のおよそ1/3を筑後川に頼っています。
筑後川水系に水源の多くを依存している福岡都市圏は、自主的な水資源確保の取組みとして、福岡地区水道企業団を事業主体とする国内最大の海水淡水化施設「海の中道奈多海水淡水化センター」(生産水量1日最大50,000㎥うち福岡市分16,400㎥)の運用を平成17年に開始しました。近年、気候変動の影響により、少雨と多雨の二極化傾向が見られる中、天候に左右されず、安定的に水道用水を供給することができる施設です。
県営五ケ山ダムは、昭和53年の大渇水を契機に、渇水対策容量を持つダムとして日本で最初に計画され、令和3年1月に完成しました。福岡県内最大の貯水量を誇り、福岡市の関連ダムで水道などに使える水の容量がこれまでの約1.7倍になり、水の安定供給に寄与するとともに、昭和53年や平成6年のような異常渇水時にも、市民生活等への影響を大幅に緩和できるようになりました。
創設から100年を迎える福岡市の水道。気候変動や人口減少など、水道事業を取り巻く環境が変化するなかで、「いついかなる場合でも安全でおいしい水道水を供給する」という水道事業者の使命を果たし続けるため、これからも多くの課題に挑戦していかなければなりません。
100年後の福岡市でも、安全でおいしい水道水をじゃ口まで送り続けることを目指し、私たちは、たゆまぬ努力と工夫で福岡市民の生活と都市の成長を支えていきます。
写真:平尾浄水場跡(現福岡市植物園)